2003/9/2(火)22:11 - 無加川のニジマス (男)
話は前後しますが、食堂車でのディナーの終了後、いったん、自分の寝台に戻る途中、サロンカーの一角に、
大阪車掌所特製の「トワイライト」の発着駅(大阪駅と札幌駅)、ならびに、途中の停車駅(14駅)のスタンプ
(合計で全17駅分)が置いてあったので、乗車記念として、ディナーのメニュー表の空白欄に、全スタンプを押
しておきました。各駅のスタンプの図柄ですが、主なものでは、大阪駅は大阪ドーム、新大阪駅は新幹線、京都
駅は東寺の五重塔、金沢駅は兼六園、富山駅は立山、直江津駅は上杉謙信、新津駅は「SLばんえつ物語号」、
登別駅はヒグマ、南千歳駅は飛行機、札幌駅はビールのジョッキとなっていました。
ここで、今回の「トワイライト」の編成について紹介します。今回、私が乗車したのは、第1編成です。今回
は、全編成のリニューアル工事が完了してからは初めての乗車となりました。1号車・スイート+ロイヤル(緩
急車)はスロネフ25−501 、2号車・スイート+ロイヤルはスロネ25−501 、3号車・食堂車はスシ24−1(キ
ノコ型クーラー・AU12を搭載)、4号車・サロンカーはオハ25−551 、7号車・ツイン+ミニサロンはオハネ
25−511 、8号車・Bコンパートメントはオハネ25−561 、9号車・Bコンパートメント(緩急車)はオハネフ
25−501 と、第1編成ということで、末尾に1が付いていましたが、ツイン+シングルツインの合造車である5
号車と6号車・オハネ25−520 番台は、本来は、第1編成では、521と522がコンビで連結されているはずなので
すが、この日は、なぜか、523と522のコンビが連結されていました。車内のインテリアは、過去3回の乗車時と
は違い、「木のぬくもり」をテーマにした木目調の壁に変更されており、7号車の大阪側の端部にあるミニサロ
ンのソファは、濃い緑色の本革張りのソファに変更され、以前よりもグレードがアップしたように感じられまし
た。外装についても、黄色の帯の上下に銀色の縁取りが追加されていて、エンブレムについても、細部のデザイ
ンが変更されていました。また、この日の電源車は、カニ24−10(「トワイライト」色)でした。
さて、ここから先は、区間によって、複線区間と単線区間とが入り混じるようになります。「トワイライト」
は、羽越本線に入ると、まず、在来線の鉄橋では、現在でも日本一の長さを誇る阿賀野川の鉄橋を渡り、冬に白
鳥が飛来する瓢湖の最寄り駅である水原駅、月岡温泉の玄関口である月岡駅を通過し、やがて、白新線の分岐・
合流駅である新発田駅(駅の近くには、新津機関区と縁の深いD51−512 号機)が静態保存されています)、貨
物の引き込み線のある中条駅、米坂線の分岐・合流駅である坂町駅(駅の構内には、旧坂町機関区の扇形庫と転
車台があり、町内には、坂町機関区と縁の深いD51−735 号機が、屋根付き・シャッター付きの車庫のような建
物の中で静態保存されています)と順調に通過していきます。新津駅を発車してからの私は、しばらくの間、自
分の寝台にて、持参してきた「日本縦断個室寝台特急の旅」、「時間をかける贅沢旅行・寝台列車の旅」、「走
れ!ぼくらのブルートレイン」、「JR時刻表」8月号などを読みながら過ごしていましたが、村上駅が近付く
前に、寝る前までの時間を、広い空間の場所で過ごそうということで、4号車・サロンカーに移動しました。や
がて、新潟県の県北の城下町・村上市の中心駅である村上駅を通過しました。新津駅発車直後の車掌さんのアナ
ウンスにもありましたが、もう、翌朝の北海道・洞爺駅到着まで、11時間あまりは客扱いの停車はありません。
やがて、村上駅の構内を通過すると、直流から交流50ヘルツに切り替わるデッドセクションに差し掛かります。
糸魚川駅と梶屋敷駅の間にも、交流60ヘルツから直流に切り替わるデッドセクションがありますが、「トワイラ
イト」はEF81に牽引されている上、編成の札幌側の端部に、電源車カニ24を連結しているので、デッドセクシ
ョンでも、電車のように車内の照明が消えることはありません。かなりの速度を出しながら、惰性でデッドセク
ションを通過すると、秋にサケが遡上することで有名な三面川の鉄橋を渡りますが、ここから山形県鶴岡市の小
波渡駅〜三瀬駅(付近まで)は、日本海に沿って走る区間が多くなります。特に、桑川駅から越後寒川駅にかけ
ての区間は、有名な景勝地である笹川流れの海岸線に沿って走りますが、夜の闇の中を走るので、美しい海岸線
の風景を見ることはできません。時々、集落の灯火や並行する国道を走り抜ける車のライト、それに、沖合で漁
をする漁船の漁火が見えてくる程度です。やがて、新潟県の最北端の駅・府屋駅(山北町)を通過すると、「ト
ワイライト」は、県境を越えて山形県に入り、いよいよ、東北地方へと突入しました。
山形県の最初の駅である鼠ヶ関駅(温海町)を通過します。ここ鼠ヶ関地区は、古代から関所が置かれていた
場所でもあります。改札口の横に大きなこけしの置物があるあつみ温泉駅、五十川駅を通過し、鳶ヶ沢トンネル
を抜けると、鶴岡市内に入っています。小波渡駅と三瀬駅の間で日本海が車窓から離れ、三瀬駅と羽前水沢駅の
間にある矢引トンネルを抜けて庄内平野へと入り、西鶴岡信号場を通過すると、21時41分に鶴岡駅に到着し、青
森発・大阪行きの寝台特急「日本海2号」との交換のため、数分間の運転停車となりました。鶴岡駅の発車直後
に、「おやすみ」放送が流れ、その際に、Bコンパートメントの通路の照明は、少し暗くするとのことでした。
幕ノ内信号場を通過すると、再び複線となりました。やがて、陸羽西線の分岐・合流駅である余目駅を通過し、
あの「おしん」が舟下りしてきた最上川の鉄橋を渡り、しばらく進むと、構内に酒田運輸区などが広がる酒田駅
に到着し、牽引する機関車の乗務員の交代のため、ここでも数分間の運転停車となりました。酒田駅を発車する
と、昼間は、下り列車の車窓の右手に鳥海山が見えてくるのですが、夜の闇の中なので、残念ながら見ることは
できません。遊佐駅だったか、吹浦駅だったかは忘れましたが、いずれかの駅でも運転停車して、青森発・上野
行きの寝台特急「あけぼの」と交換しました。1号車と9号車の車体の「ゴロンとシート」、「レディースゴロ
ンとシート」のシールが印象的でした。ほどなく、女鹿駅を通過すると、県境を越えて秋田県に突入し、小砂川
駅、上浜駅を通過し、「奥の細道」で芭蕉が訪れた最北の地である象潟駅に差し掛かり、さらに、明治時代に、
日本人で最初に南極大陸を探検した白瀬中尉の出身地である金浦駅、TDKの工場などがある仁賀保駅と通過し
ていきます。
実は、サロンカーに移動してから、様々な「出会い」がありましたが、それについては、秋田県に突入してか
らのことと合わせて、次回にて書くことにいたします。
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