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【003521】 青函旅行 大変記  その2
2002/2/1(金)02:17 - 水嶋 ()

さて、旅行記の続きですが、その前に・・。

野田さま、旅行満喫なさってますねぇ。飲んでらっしゃいますか。(笑)
レポートも楽しく拝見しています。Iモードでカキコなさるとは・・すご過ぎです。

さてここから旅行記の続きです。長いし、ド下手な文ですけれどお付き合いください。

お昼すぎに函館に着いた私は、まず東日本フェリーに電話を入れました。
(まーず、動いてはいないだろ−なぁ・・)
係員「はい、東日本フェリー・函館支店です」
私 「あっ、すいませんが、青森行きのフェリー動いてますか」
係員「午前中は欠航しましたが、午後からの便は出港できる予定です」
との返事・・。でも現実に大荒れの海を見てしまっては・・。どうするか迷います。
でも、当初の予定は青函連絡船を偲ぶ旅・・。予定は曲げないと覚悟を決めました。
明日も休みなので函館に泊まり、明日乗ることにしたのです。
それからは、市電で谷地頭温泉に行き、ゆっくりリラックスしてビジネスホテルに入りました。

その翌日、念のために再度、東日本フェリーに電話をしました。
するとここでまたびっくり・・。昨日は結局、全便欠航だったそうな。今日は朝から出港との事。
ほっとして、判断はまちがってなかったなと、思ったんですね。この時までは・・。
太陽も出ていて、寒さもゆるい。こりゃいいなと思ったのですが・・。
14時50分発の便として、13:54発1158D・上磯行きに乗車。北海道では標準の
キハ40系2両・ワンマンでした。乗客もさほど多くはありませんでした。
七重浜で降り、とにかく海へ歩くのですが、道がわからない。コンビニで道を尋ねると、とにかく
海へ出たら、左に行くべしとのお告げ。従うと、15分ほどで港に出ました。
フェリーターミナルは予想していたより大きく、売店の品揃えもけっこうありました。
一般乗船客は両手で数えられるくらいしか乗っておらず、時間的に中途半端なこともあってか、
いつもこんな程度と、係員の方がおっしゃっていました。おかげで、広いスペースに各2人づつ
という極楽状態・・だったのですが・・。
出港前から軽く上下に揺れており、枕が置いてある棚に事前にエチケット袋が置いてありました。
その上・・・、出港した際にトドメを刺すアナウンスが・・。
「本船、ただいま定時に出港いたしました。なお、津軽海峡は大変波が高くなっております。
かなりの揺れが生じる恐れがありますので、棚には荷物は置かず、座敷にお置きくださるよう
お願いいたします。棚に置かれますと、荷物が飛び、思わぬ怪我をされる恐れがあります。」
(おいおい、荷物が飛びって・・、なんじゃ、そりゃあ・・。落ちるの間違いだろ・・)
と思っていたのですが、予告通りに揺れはひどくなり、上下左右に容赦無く揺れ続けました。
もしかして沈むんじゃないだろかと、思うほど上下に揺れたと思えば、波が砕けるなんてもの
よりひどい衝撃波・・。生きた心地がしませんでした。フェリーも結構好きで、各地の長距離
航路などにも乗ったりしてきていますが、過去にここまで揺れた経験はありませんでした。
でも、こんなに揺れながらほぼ定時に到着・・。余力を残してダイヤを組んでいるのだな、と
思いました。そして、あのアナウンスが間違っていなかった事を実感しました。

それから青森空港へ行き、JAS機で東京に帰ってきました。

青函連絡船を偲ぶ旅は、こうして幕を下ろしました。

長文となり、大変失礼いたしました。では・・。


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