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【002669】 銀河号とスーパーレールカーゴの併走
2006/5/7(日)06:17 - ゆうづる14号時代 ()

去る4月25日に、福知山線の脱線現場に献花に向かった際に私が利用したのは、
わが国唯一にして最後の急行寝台列車「銀河」号である。 
先日の「出雲」号廃止により、東京駅から24系25型で運転されている寝台列車は、
今ではもはや銀河号のみになってしまった。。

 つくば科学万博の開催で、わが国が活況を呈していた1985年、
私は生まれて初めて24系ブルートレイン編成に乗車した。
それが出雲号の銀帯オハネ25である。今回、銀河号に乗車するにあたって、
わざわざ5号車の12番を葛飾区の某駅で指定してもらったが、
これは21年前に私がブルートレインに初乗車した時と全く同じ号車の寝台番号である。 

24日の夜、東京駅の9番ホームにたたずむ24系銀河編成は、
21年前のあの日と全く変わらない、
ピカピカなブルーも美しい銀帯のオハネ25型であった。

EF65−1100形の汽笛を聞きつつ、
有楽町の夜景を見つつ麒麟ビールを飲む。。
21年前の時は、両親や妹とともに家族4名で乗車した寝台区画も、
この日の夜は大船駅を発車しても遂に相席客は無かった。
JRマークの浴衣に着替え、列車最後尾へと向かう。。

この日はもちろん増結車が無く、隣の6号車が最後尾だった。
国鉄時代の出雲や、はやぶさ号などの基本編成分だけの短さに胸が痛む。

 6号車オハネフ25−131の貫通路窓から、去り行く漆黒の闇を凝視しつつ、
しばらく、神戸のワンカップ白鶴を味わう。
国鉄時代の東海道ブルートレインは、
6号車のオハネフ25の後ろには、こちら側を向く折妻のオハネフ25−200型が連結され、
さらには8号車にウエートレスさんも華やかな食堂車のオシ24が存在し、
列車によっては13〜14号車までつないだ長大編成であった。
しかし、今日はこの6号車の台車が鳴らすジョイント音のあとには、続く客車は一切無く、
当然のこと、貫通路のドアの向こうには暗闇が支配する。 

往年の九州ブルトレ24系編成を知る者の一人として、
銀河号の6号車オハネフ25最後尾デッキに一人立った時こそが、
栄枯盛衰を最も実感できるように思えてならない。

 ・・大船駅を出て程なくして、複々線区間の貨物線を追い上げてくるヘッドライトが輝いた。
一瞬、三つ目のヘッドライトがサンライズ(285系)のようにも感じたが、
某宅急便会社が運行する最高時速130キロの
「貨物電車」スーパーレールカーゴMc250系電車であると直に気がついた。 

物凄いスピードで我が銀河号に迫り、あっという間に横を追い抜いて行った。。

 しかし、何でも速さばかりが第一ではないはずだ。
国鉄時代からの車両(103系や24系ブルートレイン)も大切にするJR西日本殿、
そして銀河号よ、ガンバレール!! 


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