2006/8/10(木)15:12 - MASA (男)
管理人様、そして皆さん、残暑お見舞い申し上げます。
私は只今実家におります。私の実家は携帯の電波が届かない「圏外」の場所にあります。ですので、携帯でこのサイトを
見る事ができませんが、ノートパソコンを持ってきており、無線機器を使ってインターネットができる状態ですので、ノート
パソコンでしかこのサイトを見ることができない状況です。
さて、前置きはこのぐらいにしておきまして、私の実家に一冊の道路地図が見つかりました。しかし、ただの道路地図では
ありません。昭和49年11月発行の道路地図なのです。「えっ、北斗星の家なのに道路地図とはどういう事?」と思いの方
いらっしゃると思います。しかし、この道路地図は国道など一般の道路の路線だけではなく、鉄道の路線も一緒の地図に載って
おります。つまり、昭和49年11月時点での鉄道の路線がこの道路地図に載っているのです。今現在廃線になった鉄道路線が
この道路地図に載っておりますので、「へぇー、こんな所に鉄道が通っていたのか」と関心させられました。特に感心させら
れたのが、当時の北海道の鉄道路線です。今現在の北海道の鉄道路線は、幾分すっきりしていると思っておりますが、昭和49年
11月当時の北海道の鉄道路線はありとあらゆる所に鉄道の路線がありました。昭和49年11月当時の北海道の路線で今現在
廃止された路線をこの道路地図を使いまして紹介したいと思います。(なお、地名や駅名は当時のままの名前を使っております)
・道南地区
木古内〜渡島知内〜渡島福島〜松前(松前線)
国縫〜今金〜瀬棚(瀬棚線)
倶知安〜喜茂別〜新大滝〜幡渓〜伊達紋別(胆振線)
・道央地区
国富〜岩内(岩内線)
鵡川〜旭岡〜穂別〜幌毛志〜日高町(富内線)
野幌〜栗山(夕張鉄道)
志文〜万字(万字線)
岩見沢〜幾春別、幌内(幌内線)
砂川〜歌志内方面(※)、上砂川方面(※)(砂川線)
新夕張(※)〜楓〜登川(夕張線の枝線)
清水沢〜大夕張炭山(※)
・道東地区
新得付近にあった狩勝実験線
帯広〜愛国〜幸福〜更別〜大樹〜広尾(広尾線)
帯広〜中士幌〜上士幌〜糠平〜十勝三股(士幌線)
池田〜足寄〜陸別〜置戸〜北見(池北線、のちの北海道ちほく高原鉄道)
白糠〜北進(※)(白糠線)
厚床〜西別〜中標津、標茶〜春別〜中標津〜根室標津(標津線)
美幌〜津別〜北見相生(相生線)
・道北地区
深川〜多度志〜幌加内〜朱鞠内〜白樺〜名寄(深名線)
留萌〜羽幌〜初山別〜遠別〜天塩〜幌延(羽幌線)
遠軽〜中湧別〜紋別〜興部〜西興部〜名寄(名寄本線)
中湧別〜湧別(名寄本線の枝線)
中湧別〜佐呂間〜常呂〜網走(湧網線)
渚滑〜滝上(渚滑線)
興部〜雄武(興浜南線)
美深〜仁宇布(美幸線)
音威子府〜上頓別〜中頓別〜浜頓別〜猿払〜鬼志別〜沼川〜幕別〜南稚内(天北線)
浜頓別〜北見枝幸(興浜北線)
※歌志内方面、上砂川方面の終点の駅名は不明
新夕張の旧駅名は不明
清水沢〜大夕張炭山の路線名は不明
北進の漢字はこれでよいか不明
そして、当時まだ開通されていない路線をご紹介いたします。
津軽海峡線、千歳線(新千歳空港方面)、石勝線(南千歳〜追分、新夕張〜新得)
最後に、現在の路線名と当時の路線名が違う路線名をご紹介いたします。
追分〜夕張(夕張線)
(もし、駅名や線名に誤りがあった場合、また書き込まれていない線名がありましたらご了承ください)
以上のように北海道内にいっぱい鉄道路線が張りめぐらされておりましたが、マイカーなどの自動車が充実してくると、次々と
路線が廃止され、さらに沿線住民が減少すると路線廃止に拍車がかかり、現在のような路線網になったと思います。
北海道内の路線しか紹介しておりませんが、この道路地図は全国版なので、全国に点在する現在は廃線になった路線も載って
おります。しかし、全部書き込むのは大変な作業ですので書き込みませんが、「こんな所に鉄道が通っていたのか」や「この
路線、今は第3セクター鉄道路線だよ」と思ったりしました。私自身、当時の鉄道事情が知ることができてとてもためになり、
楽しいなと思いました。
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