北斗星の家 掲示板 過去ログ
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【006879】 青い流れ星様・・・・
2004/2/17(火)02:01 - TWILIGHT ()

青い流れ星さん、こんばんは。ってもうお休みされている時間ですね。
私も管理人さんやその他の方同様「応援派」ですね。

鉄道マンを祖父にもつ私は小学2年から交通公社の大時刻表を眺めていましたが、
今ほど物騒ではなかった時代背景もあって小学3年からひとりで特急や急行を乗り継いで
祖父母の家まで「旅」することを両親から許されていました。
当時はまだ東京発のブルトレがEF65の500番台から1000番台に切り替わる前後の時代で
さすがに個室寝台といっても当時「すさまじく高価」なA寝台個室が「はやぶさ」「富士」
「あさかぜ」「出雲」に連結されているだけで、その頃に「さくら」の開放A寝台の下段に
「ひとり旅」で乗せてもらったのが、とっても贅沢だった想い出ですね、小学5年の時の
ことですが。10何両繋いでいる3段式B寝台とは違い、2号車のA寝台は夜間はほぼ完全
に減灯されて真っ暗。それすらも「ほかの車輌と違う!!」って感動した覚えがあります。
当時、時刻表の他に「特急デジタル時刻表」という本もあり、主な駅の通過時刻やすれ違い
列車の時刻などが詳細に載っているもので何の為のA寝台なのか分からず一晩中寝ずに起きて
列車のすれ違いや流れる光の景色を独り占めした下段の窓で見ていました。

祖父母の家から帰ってきて自分のアルバムに撮った写真を並べて、絵日記仕立てに夏休みの
想い出をつづっていたのが昨日のような気すらします。こんな素晴らしい想い出をプレゼント
してくれた両親に感謝しました。

ただ青い流れ星さんにお願いしたいなと思うことがあるのですが、UUSさんのご意見も私自身
すごくよくわかります。ですのでこういった意見もきちんと理解した上でチケットが取れたら
乗せてもらえる機会を下さったご両親に感謝して欲しいということです。
現在30代・40代の年齢の両親は戦中・戦後生まれがほとんどで、この時代の日本の
国民性というと大げさかも知れませんが「質素につつましく」というのが主流でありました。
たとえば「500円余分に払って指定席に乗ってゆったり座ろう」が当時であれば「その
500円を節約して自由席で我慢しよう」が多数の支配的な考えで、すし詰めの自由席にガラ
ガラの冷房指定席・お客1両に一人のグリーン車、なんてざらでした。かくいう私もその両親
に連れられてすし詰めの自由席の乗ることの方が多かったですもん(笑)

素晴らしい旅をどうぞ。たくさんの想い出を作って下さいね。

追伸:ふりかえってみると、一番ビンボーな旅行をしていたのは大学時代でしたねー。
   これはこれで大変楽しく素晴らしい想い出ですが・・・
追伸2:「特急デジタル時刻表」って知っている方、いらっしゃいます??

                             長文失礼しました・・・・


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